昔の小学校には図書室があった、今もあるだろうが。本が大量にならんでいた。あたりまえだが。でも初めて見たときにはなんか異様な感じがした。それまで本がたくさん並んでいるのを見たことはなかった。それぞれの本に文字がいっぱいつまっている。それがぎっしりならんでいる。学校のある側面の象徴、と今はいえるが。
七〇年ほど前のココラ、マチでないザイゴーは、保育所や幼稚園とは無縁だった。おおかたは、学校に「あがって」から字を習いおぼえた。ことばはしぜんとおぼえたのだが。
絵本についた字を拾って読むのからはじまって、だんだんすらすら読めるようになってくる。私は性にあったのか、読むのが好きになった。図書室で本を借りて読むのをおぼえた。子ども文学全集みたいなのがあってカタッパジから読んだ。その内容がどんなのだったかほとんど記憶にない。残っているわずかの一つが、外国では子どもが「しょうがビール」を飲んでいるとあったこと。ヨーロッパのどこかだったか。
好奇心から大人のビールの飲み残しにイビ指をツッコイテなめてみて苦いまずいのを知っていたから、外人の子テヤ、エレーもんだ、アッケンガを飲んでいるがか。外国には子どももアルコールOKなところがあるのかと思った。ココラでも一二月三一日のトシトリには子どもでも酒をなめさせられたが。
その頃「ジュース」といえば粉末ジュースの素(ワタナベのジュースの素!)を水に溶かしたもの、飲むとヘラ(舌)に色がつくものと思っていた。時がたち、田舎もんは上京していろんな清涼飲料水があるのを知った。コーラやファンタ、ジュースなど、その洗礼をうけた。うまかった。が、そのジュースでもまだ実はインチキ品で、フルーツを絞った汁のことをジュースというのだと後に知った。高価な輸入品だったオレンジを絞ったジュースを飲んだときは感激した。ホンモノの「ジュース」。
ちょっとマイナーなジンジャーエールというのもあった。英語も習っていたのでジンジャーは生姜、エールはビールの仲間とぐらいはわかった。飲んでみるとコーラほど刺激的ではなく、ちょっと複雑な味だった。あるとき、子どもの頃の思い出の「しょうがビール」とはもしやコレか?!☆。長年の疑問が氷解した。これなら子どもでもOKだ。その記念でもないが店を開店した時からずっとジンジャーエールはおいている。四十数年前六日町ではまだ売っていなくて取り寄せるのに苦労した。都会との格差があった。でも知られていないから売れなかった。
で、ハナシは現在になる。ネットをみていたらジンジャーエールの作り方があった。ヘェー自分で作れるんだ。買うものとばかり思っていた。幸い畑でつくった生姜はイッペーある。買えば安くもないが、あれば作るハードルは低い。失敗しても損とも思わない。詳しい作り方はネットを参照してもらうとして、ざっといえば、砂糖水に薄切り生姜とシナモンなどを入れて煮出し、シロップをつくる。コップに氷をいれ、シロップを炭酸水で割る。
これでもうできあがり。ジンジャー・エール。あきれるほど簡単。
試飲。シロップの量を加減して好みの味にする。うーん。シロップが多いと風味強く甘い。薄いとたよりない味。なんか甘い漢方薬を飲んでるみたい。どうもあまり、好き!とならない。家人にも却下された。ま、でも、いっぺん作って飲んでみたからいいや、しょうがビール。
(我田 大、 「季節料理 大」 主人)
