春先のトーナは、うまい。ツミナ、アオナともいう。ナッパ、テャ(とは)こういうもんだ、と納得させてくれる味。それだから人々はずっと作り食べつづけてきたと、春がきて食うタッピに思う。
まだ雪があるときにスーパーなどで青いナッパを見ると、キョンナ(去年)の暮れからの「かこった」野菜ばっかりで、新鮮な緑に飢えているモンダスケニ、つい手をだしてしまう。……そして食っちゃ後悔する。まずい。いやみな味。損した。もう買わない。と思っても緑は本能を刺激してまた手を出させてしまう。自分で作ったのはアッケニ・ンーマイガンニ、ナーシテ売ってるガはまずいのか。かんがえるに、とってから時間がたっている。チッソ肥料のくれすぎ。連作で土壌消毒剤の使用、などか。
江戸時代からの当地の名産品、水掛け栽培による早出しで有名な大崎菜も売っているのは姿は立派だが、味は残念ながら露地でのチッソ肥料を控えた自家栽培品には負けると思う。見栄えでは劣っても味で勝負とはいかないか。残存する硝酸態チッソの毒性が云々されてもいる。
トーナはツミナともいわれているが、これはそうとう古くからのいい方であろう証拠を見つけた。奈良時代末期に成立したわが国最古の歌集「万葉集」。その巻頭、雄略天皇の歌に「菜摘ます児」とある。菜は栽培した青菜類のこと、児は初めて見る少女のことと解説にある。天皇がツミナをしている少女をナンパしている歌だ。少女は「ふくし」というヘラを持っているともあって、これは当地でトーナ栽培者がつかっているヘラ(他のトウを傷つけないようにトウを切り取る道具)と同じではないか。五世紀の雄略天皇の世からツミナをへラでしていた。そうかんがえると千数百年昔の少女がぐっと身近になる。腰のヤメル・ナーツミ(菜摘み)、腰を伸ばし伸ばししていただろう、と。
私はツミナは大崎菜のほか長岡菜と五月菜をつくっている。どれもまず「ひたし」で食うが、長岡菜はワサビのトウのようにさっと湯にくぐして水にとり、塩をまぶして密閉すると辛みがでてきてうまい。直江兼続が米沢までもって行ったナッパだという。彼の地で「雪菜」という名産品になっている。五月菜は葉が粉がふいたような緑。「洋種ナタネ」の仲間という。甘みが強いがややくせがある。なので油炒めが好き、中華風。葱、ニンニク、生姜のミジン切りを油で炒めて香りを出し、摘んできた芽先を投入、強火で炒めたところに水かスープ少量を入れふたをして蒸す。家庭では強火が出ないのでこうする。上がりに塩胡椒ゴマ油。好みでオイスターソースかしょうゆ少々でもいい。ホントのアオナイタメの味がする。売ってるアオナではこの味になってくれない。

トーナは、残念ながらオクテの五月菜までひと月もたたないで終わってしまう。が、コゴメだキノメだワラビだウドだウルイだフーキだミズだタケノコだとヤマヤサイも続々出てくる。春の食卓はマインチ、アオモンのサッザ食いとなる。結果アッパの出がすごい。いきまなくても、するするパッと青黒い大量が水洗便器のタマリを埋めつくす。エーヨーなどどうでもいい、胃腸をソージしている感じ。腸内細菌もエサがきて大活躍か。そのせいでもないか冬のだらけた体が活動的に変わるようだ。気温が上がり外仕事が押し寄せてきて、ダンドリで頭も休んでいられない。
(我田 大、 「季節料理 大」 主人)
