(70)ヤマクラゲ 広報誌2025年1月号掲載

スーパーの棚にヤマクラゲを見つけた。イッサだなあヤマクラゲ。買った。水でもどして炒め煮にした。コリコリしてうまい。中華料理のクラゲやメンマ、ザーサイなんかと同じ食感のなかまだ。年をひろうと、メハマラじゃないがいろいろ弱って、食うモンはヤッコイものがよくなりそうなものだが、私はまだコリコリが好き。

むかしヤマクラゲの原料が何かわからず探索したことがあった。インターネットのない頃でいろいろ調べた。中にはいいかげんなアテズッポーを書いている本もあった。努力して自分で調べて真実(と思えるもの)に至る、アーカ・コーカ、アーデモナイ・コーデモナイのドーチューもたのしかった。かんがえるたのしみ。わかるというごほうびもうれしい。すぐにわかってしまう今は、いいような、わるいような。

それの復習。結論はヤマクラゲはレタスのなかまの乾燥品。茎を食べるレタスがあってセルタスとか茎ヂシャとかいう、それを干したもの。種を買って蒔き、育てればかんたんに原料を調達できる。私は八月上旬にポットに蒔いた。レタス類の常で、土は薄くかけ、日陰で育苗。芽が出て少し伸びたらウルノイで一本立ち、適宜液肥を追肥、本葉3、4枚で畑に定植。あとはほっぽらかし。一〇月二〇日ころには見なれない風体の植物がにょきにょき立ちならんだ。アラァ・ナンダイ?と質問をうけた。いいかげんトウが立ったら根元から切って収穫。ガワッパをコキおとす。葉っぱはリーフレタスとしてつかえる。棒状となったのの皮をむく。ピーラーでしてもいいだろうが、職人としては適当な長さでブツ切りにしてカツラ剥きの要領でした。それをたてにいくつかに切る。干しあがりをかんがえた厚さにする。そうとう厚くしておかないとヒールとゴミみたいになる(なった)。ザルか網みたいな上に広げ干す。天気が悪いとユーゴー→カンピョーの時のようにカブレる。私は薪ストーブの上のほうで火力乾燥。サンヨッカでなくゴロクンチ、念を入れてトーカほどで、できあがり。ビニール袋に乾燥剤も入れしまっておく。

水で戻すのは水を換え換え何日か、よくよく戻したほうがよいようだ。
戻ったら水をきって油炒め。酒や醤油スープ少々で味をつけ、ちょっと煮ればできあがり。七味、一味などふるのもよい。


というヤマクラゲですが、その元の野菜を、六〇年ほど前の修業時代に一度つかったことがあったのです。研究心篤い親方の下でだった。チシャトウという名の見たことない野菜。今のセルタスより細長かった。切って丸くむいたのを茹でて煮物のアオミとしたり、西京漬にして前菜にした。割烹や高級中華料理店向けに栽培していた人がいたのだろう。その名前は萵苣チシャ(レタス類)の薹トウの意か。ホンケの中国名は萵笋、萵筍、チシャ・タケノコとみている。誰がこれを干すことをかんがえたのか。なんでも干しちゃう乾物好きのチャイナだからふつうか。

さてセルタスをヤマクラゲにするとき切り捨てたトゥの先が気になった。ブチャルのはもったいない。アアすればうまいのではと思いつく。すなわちミジン大蒜を炒めたところにトウを入れ炒め、紹興酒、スープ少量でさっと煮る。塩、ナンプラー少々で味つけ。さあ試食だ、うれしはづかし初体験。かすかな苦味とポキポキの茎、うまい。家人も絶賛。セルタスを育てた人にしか味わえない境地、まだ多くの人はこれを知らないとうれしくなった。が、まてよ、ふつうに生のセルタスが出まわるようになれば、ふつうの料理か。江戸時代ニホンに今はふつうの白菜はなかったという。

(我田 大、六日町伊勢町、「季節料理 大」、主人)