冬は24時間薪ストーブを燃やしている。寝る前には太くていいコロ(薪)を入れておく。ナラ、ブナなど乾いても持ち重りするの。燃えつきてもオキが長く残る。
朝方ションベンシに起きたらストーブにコロをつぎにいく。もう炎やオキの赤い色は見えない。5・6時間はたっている。でもほのかにあたたかい。そしたらホンボラノクトイということばがうかんできた。そうだそういうんだった。
昔のコタツは炭や豆炭をつかっていた。八分がたおきたのを入れてコタツでよくオコした。この時の炭のにおいや、フトンのカワがやけてコゲだしそうなにおいは忘れない。酸欠かで、もぐりこんでいたネコがふらふら這いだすこともあった。唯一の暖房装置のコタツがアッツイのはゴッツォだったが、アッツすぎてヒャッテランネーほどなので、赤くオコッて青い炎が出ている炭に灰をかけた。かけておかないと火がもたない。炭がズになってしまう。そうだカケルじゃなくイケルというのだった。そこ用に小さなジューナ(十能)がおいてあった。堀ゴタツのふとんをまくって、ぐいっと肩から先をいれ(ササッテ)逆さになってまず網をどかす。それからイケタ。赤を見えないように。ジューナの柄が熱くなってモタンネェ時もあった。袖口をのばして持った。網をもどしてコタツから上がると、フーッ、外の冷たい空気が気持ちよかった。熱とガスと逆さで頭がボーッとなっていた。
そうして何時間かが経過するとコタツはハッコクなってくる。ホゲロ、の命令でもぐってホゲタ。ノクトくなった。時にイロリでいいタキオトシ(オキ)が出ると入れることもあった。カーッと熱くなったが、すぐ冷めた。
外でアスンでグッチョグチョになって入ってきて、そのままコタツにもぐりこんで乾かすのをキボシといった。着干。ハジカンダ・イビ(指)がしびれながらもどる感覚や、キモンが乾くにおいは忘れない。
ホンボラ・ノクトイであった。ほのかにあたたかい。火がなくなりそうなコタツがそうだった。朝の薪ストーブもそう。イロリでも寝る前にはオキや燃え残りをていねいに灰でイケた。イケルは灰の中で火を生かしておくと関係あるのだろうか。朝でもホンボラノクトかった。それをホゲて、ツケギで火にしスギッパや細いシバキにうつした。火をフツケル。「タネビ(種火)を絶やしちゃなんね」はとしょりの口ぐせであった。
ホンボラは共通語ではなんだろうか。「ほとぼり」か。でも今それは「事件のほとぼりが冷める」とかのきまり文句だけで、火との関係はほとんど意識されていない。辞書には「火を消した後の余熱」はのっているが。
「朝ぼらけ」もあった。「古文」で習った。辞書に「夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態、またその頃。多く秋や冬につかう。春は多くアケボノ」とあった。ほかにも、ほのぼの、ぼけなど「ホ」は、ニホン語でなんとなくはっきりしないものごとをいうとき、つかわれるオトのようだ。
ホンボラばかりでノクトイをいわなかった。共通語ではヌクモリか。その代表格は「人肌のぬくもり」か。似た語アタタカイとのちがいは接触感だろうか。はるか昔の赤ん坊の頃の抱かれた感覚、さらに記憶の向こうの羊水のなかの感覚がノクトイにはあるような気がする。どこかなつかしい。温泉で「あー、ジョンノビ、ジョンノビ」とも響きあうようだ。
(我田 大)
