(83)ミョーゴ 広報誌2026年2月号掲載

ザルいっぱいのミョウガの写真

出た出た、待ってたミョーゴがでた。オク・ミョーゴだ。九月もスエツになってやっとのお出ましだ。

ミョーゴワラ(原)のヤブをかきわけうす暗いなか目を走らせて黄色い花を目じるしにさがす。バラバラとあるのを見つけ次々とる。太ったのを指でつかむ。力を入れにくいかたちと、白い茎が深くのびて地下を這う根にしっかりくっついているので抜きにくい。えいっとひっこぬく。ふくふくした、でっこい、これぞミョーゴ。うれしい。

花がいくつも大きく開いたのはもうヤッコクなってることが多い。ブチャル。ミョーゴはゴミもなにもいっしょにとって入れものにいれる。そうしていっぱいとってきたのはまずコンクリにあけてアラゴミをとる、というかミョーゴをひろって洗い桶にいれる。水を入れミョーゴが流れないように手を桶のふちにあてがってゴミだけを流す。見えたゴミはつまんでとる。長い茎は折りすてる。開いた花は抜きすてる。これをゴミがなくなるまでくりかえす。5回はする。最後にザルにあける。見れば、ふっくらとしたかたち。茶緑とピンクと白のグラデーション、水にぬれてなんか艶っぽい。しばらくザルにおいて水を切る。これでやっと調理材料となった。

買ってくる人はここから料理となる。料理人としては、このとってくるのにくわえての下ごしらえはメンドッチイことだった。でももう何十年もしてきて慣れた。そうしないとンーメガを食えないことがミニシミテわかってきた、というか、ふつう、あたりまえ。

ワセ・ミョーゴも七月の大乾燥のせいで出るのが遅くて、八月にヤブを何回ものぞいても出ていないから、今年は「カワキすぎて」(老人の発音で)出ないのかと思っていたら九月になる頃にやっとちっと出た。それからもちっとづつ出た。ふつうだとワッとでて終わりになるのだが。

だけど本命オクミョーゴは待てど暮らせど出てこない始まらない、ケもない。今年は出ないのかとあきらめかけた九月末なってやっと出たのだった。

というように家にはワセとオクと二種類がある。おそらく祖母のしわざ。白内障のせいもあっていつも家のなかで座っているのが、季節になるとミョーゴは出たか、見てこいと孫にいうのだった。大きくフクフクしたオク・ミョーゴは、わざわざどこかの家から分けてもらってきて植えたのだというハナシもいつもだった。

ミョーゴは好きなのでサッザ食いする。まず、きざんだのにかるく塩。これをまんまにまぜて食う。たらっと醤油。カツブシかければマット・ンメェー。そして手あたりしだい、 オカズのあれこれなんにでも入れたり混ぜたりのせたりする。ミソッチル、ナット、きざんだツケモンにまぜる、冷や奴、ソーメン、ぶっかけソバ、冷やし中華、白身魚ムニエル、ポークソテー、ユーゴーや冬瓜の汁、クジラ汁にも、塩焼きの魚の身と、ミソゴタに、テンプラに、ウルノギのダイコナと塩漬けにと、……きりもない。でもナス漬の水でつけたのとか、ピンクの酢どりミョーゴ、味噌漬、粕漬など保存的なのはあまり好まない。ナマが好き。あ、忘れてた。ミョーゴを大きさによってタテに二つ三つ四つ割りにしたのをさっと油炒め、酒を振り、そこに適量のミソを溶き、せん切りのアオジソを多めに入れカンモシてハイできあがりというの。これもうまい。

と、生の天然ミョーゴをヒト月ばかりサッザ食いした。もの忘れが進化してもかまわない。うまいの好きなの食うのはやめられない。ましてただ同然。また来年までさようなら。
(我田 大)