(80)オクラ 広報誌2025年11月号掲載

オクラはずっと何十年もつくっている。今は丸い種類。熱帯アフリカ原産というので、ベトがあったまった五月末ころタネをまく。ジカマキ。まく前にタネを水につけなくても、まいた後に水をくれておけばけっこう芽は出てくる。自分で種をとってるので値段をかんがえずに多くまけるのだ。いっぱい芽が出たらウルノゲばいいと。はじめは本などみて株間40センチほどにしていたが、今はスジマキして適当にウルノイで20センチくらい。芽が伸びてきたらワラ、枯葉、草などでマルチする。ビニールはあんまり好きでない。しかし出た芽はなかなかでっこくならない。今年の七月はいっそ雨が降らない砂漠状態で伸びるどころじゃない、生きてるのが精一杯のようだった。


水をくれればいいじゃないかと思うかもしれないが、ナスだのハタイモだの水好きのショにかまけて、なかなかオクラまでいかなかった。それでもちった伸びたが八月の盆頃まではロクダラならなかった。しかし八月下旬に雨が降ったら急にぐんぐん伸びだした。となりのユーゴーも元気をだして二番がなったしドジョウインゲンも枯れかかったつるが勢いをもりかえした。せめてもの恩返しに(?)雨の前に配合をパラパラくれた(追肥)。

八月末には見事な姿になった。オクラもなるなる。なって困る。モチアツカイだ。一日一回ではまにあわないくらいとれてとれて、こんなの初めて。毎日毎日20本ぐらいとれる。そんなにうまいもんじゃないので老夫婦では始末に困る。ウリ、ナスのようにあんまり人にやるものじゃないし。

ブチャリもサンネーし、なんとかせねば。板前とはいってもオクラ料理をとくに知らない。まずゆでて水にとる。それをきざんで醤油、カツブシでオクラトロロ。きざんだのを納豆やひきわり納豆と混ぜて。両方とも、まんまにかけてうまい。ゆでたのまるごとを醤油、ポン酢、マヨネーズで食う。天ぷらにもした。まあここらまではふつうだろう。次に、ふつうは入れない野菜いためやミソゴタやカレーやラタトゥイユにも入れてみた。ぜんぜん問題ない。しかし変化をつけてもオクラはオクラ、ィヤンなってくる。ゆでて残ったのをジリヤキ(お好み焼きみたいなもの。天ぷらの残った衣の処理法でも)にまで入れた。ソース味で食える。・・・と、料理もヤンなってきた。

ハナシかわって、オクラをもいでいると独特のにおいが気になる。ちょっとアセッくさいというか。小さいトゲにもいらいら。また、どうしてもメノコシがでる。ツグの日、あらコンチクショーと発見する。それをブチャラナイで実をいらせて種にするスブ(術)をいつしか覚えた。いるだけのサヤをカラビルまでならせておく。サヤに白いタテスジが見えるくらいになったらとる。開くと種が並んでいる。それを出してよく乾かしてツグの年の種にする。

オクラが日本に入ってきたのは幕末の頃、アメリカからで当時はアメリカネリといったそうだ。それがいつしか英語名のオクラになった。フランス語系ではゴンボとかガンボというそうだ。今のNHK朝ドラ「ばけばけ」の小泉八雲・ラフカディオ・ハーンは若い頃、米南部のルイジアナやカリブ海のマルチニークにいたことがある。そこのクレオール語(混血語)のひびきを愛し、ことわざを集めて本にまでした(1885)。そのタイトルは「ゴンボ・ゼーブス」。オクラスープという意味だそう。小泉八雲はKWAIDAN(怪談)ばかりの人でない。

浦佐の池田記念美術館には(なぜか)八雲の部屋がある。小出出身でベースボールマガジン社で成功した池田恒雄さんは「小泉八雲全集」も出していたのだ。(我田 大)