店をやめてヒャクショーが主なしごとになった。店の分がいらなくなったので、野菜は自家消費プラスアルファでソッケニいらない。しかし勢いというものがあって、すぐには変えられない。量はともかくシナカズはヤタラに作っている。
夜がヒマになったので夕食の調理を命じられた。とれた多量の野菜をなんとかするのがしごとになった。今の世の人は、いつものメニューあるいは外食の料理などから選んで家の食事を作っているかと思うが(デキアイのソーザイもある)それとはまったくはんたいの状態だ。あるものでなんとかする。いや素材が押しよせて、何とかシレと脅迫する。
…これはある意味、昔のザイゴーのカーチャン、バーチャンの料理(オサイといったか)と同じじゃないか。自分でつくったセッツェーモンなどで、なんとかする。買ってくるなんていうかんがえはハナからない。鍋一つで。たとえばミソゴタ。
しかしそうした料理のしかたは今かえって新鮮で、ある意味自由だ。何かプロの味とかお手本や正解があって料理するのではない。キワメルなんていうシャチコバッタ態度もない。私にすればこうすべきなんていう料理人アタマからはなれ、身についたウデと、きたえた舌にまかせてつくる。幸い原料のうまい野菜はある。
本日あるもの。夏の暑さで葉先が中まで腐っているヤヒコ(キャベツ)。むいてくさったところをブチャル。手間がかかる。メノコシで太くなったキュウリ(さつきみどり)。皮をむき半分に切り種を出してブツブツ切る。変形したブロッコリー(緑嶺)暑さで小さな房ごとに葉がでている。ばらして葉をもぐ。茎は皮をむき切る。カグラナンバン。1、2ヶをせん切り。いっぱい入れると辛い。ピーマン(カリフォルニアワンダー)半分にして種をとる。伏見とうがらし。柄をもぎ、指で皮に穴をあける。(破裂のおそれあり)。ケンタッキーワンダー(どじょういんげん)柄をとり、スジをとる。オクラ(品種不明、自家採種。丸い)柄を切る。ナス(泉州水ナス)切る。ちょうどツボミのニラ。(巾広種)オショッテきたのを、3センチほどに。冷蔵庫には、もやしと五郎丸しめじがあった。
何をしようというのか。大きいいため鍋をとりだす。中華の知恵を借りてニンニクと生妻のみじん切りをサラダオイルで軽くいため香りをだす。そこにエーイ面倒なりと、野菜を一度にゴイソラ入れてしまった。強火。多すぎてうまくアオルことができない。箸やヘラでなんとかカンモス。家庭用ガスコンロは強火といっても弱くてうまく野菜炒めが作りにくい。ゴトクも華奢(きゃしゃ)でガンガン行けない。鉄の中華鍋と業務用ガス台はもうないのだ。炒める量を減らせばといったって、もう入れてしまった。どうする?あれだ☆!。お湯を少し入れてフタをする。水蒸気で蒸らそうという作戦。しばしそのまま待つ。野菜がヘタッとしたら塩コショー、好みでナンプラー(しょうゆでも)少々とゴマ油タラーリ、混ぜる。完成。
しかし色は地味で、ごちゃごちゃ。今の人の好むオイシソーの見映えはない。食ってみると野菜炒めのような歯ごたえはない(歯の弱った老人にはかえっていいかも)。ないものはない。もんだいは味だ。食う。ん!うまい。それぞれが味を主張しすぎず一緒になっているうまさ。ぐんぐん食う。とまらない。空気を食うようなサラダなんぞより実質的だ。残りが冷蔵庫で冷たくなったのも、夏はいい。(ラタトゥイユ!)
ビッポクサイ料理だというなら大きなむきエビやイカのぶつ切りあるいは豚肉などを別に炒めて(火の通り方の問題)のせれば豪華に変身する。出たとこ勝負のヤッツケ料理、味をしめて、とれた野菜を変えてたびたび食卓に登場です。
(我田 大)
