(78)セリ 広報誌2025年9月号掲載

家は3mほどの崖の上にたっている。そういう崖をここらでハバという。その下をタナヤ(池)にしている。まわりは石垣、底は泥。冬は湧いてる清水をためてツキオトシの大屋根の雪を消す。以前はコイなどを飼っていたのだが、水が冷たすぎるのと、イタチやサギの害でやめた。思いついて、遊んでいる夏にクレソンを植えることにした。

春に水を抜きゴミをとりカンモシてから、クレソンの苗を投げこんでおく。夏から秋にはクレソンがしげった。売れば?万円だ。サラダやおひたしなどでたのしんだ。
しかし冬には水をため、そこにどさどさと雪が落ち積もるモンダスケにクレソンは腐ってしまう。春にまた「田植」をしなくちゃなんねー。

ところが今年水を抜き掃除して「代かき」をしようとしたら、あちこちにひょろひょろした白い芽が群生している。ちょっとかじってみたらセリだった。植えた覚えもないのに勝手に生いてきた。強いもんだ。かたづけないで残すことにした。やがて5月半ばになったらぐんぐん伸びだしてセリ林になった。ヤッター、タダでセリ畑ができた。今まではみんなとってなげていたのだ。気がつかないとはソーイことだ。もったいなかった。

セリは子どもの時から知っていた。その頃のバーちゃんはセーリといっていたと思う。独特の香りをおぼえた。なぜかというと冬のニシン漬けに入っていたから。それが入ると味が一段とよくなった。母が山のほうのシミズッカワにいって摘んできていた。雪降り前のツベタイ作業につきあったことはない。今はスーパーに行けばゼンと引きかえにツベタイ・メをしなくてもよい。そうしてセリ入りニシン漬けを作っている。正月の餅のシンノミのアオミはほうれん草だが、香りがほしくてセリかキリミツバ(根がついていない、軟化品)を入れる。もちろんユズも。香りがあると料理の格がグンと上がる。思い出はともかく、タナヤのセリをかきわけ、太いのを選んで摘んだ。根も食えるというが泥を洗い落とすのが面倒だし、いっくらきれいに洗ってもまだ残っているようでコグのは止めた。ミーツカミ(三つみ)ほど摘んだ。よく洗って、次は料理。

まずはひたし。イゼルとガサは減るがヒトカタケ分には十分すぎる。よく水を絞り、切ったのを醤油をちょこっとつけて試食。うーんセリだ。初めての自家産。味と香りと口ざわり、歯ごたえ。セーリ、と昔の発音をマネてみる。

思いついてそこらにあるオカズと一緒に食ってみた。豚薄切りの塩コショー焼きで巻いて食う。トーストしてバターを塗ったライブレッドにのせて。鯖の塩焼きと一緒に。もやしいためと一緒に。ウド、ウルイとミガキニシンのミソゴタと一緒に。短く切って醤油をまぶし白いまんまにまぜ、ゴマ(自家産)をかけて。ミソッチル(自家製五年ミソ)に入れてなどなど。セリをタンノーした。そのものの味とセリの味が別れながら合わさり、セリの香りを残して胃袋に消えていく。うまい。

……いろいろ混ぜて食うのは子どもの頃から好きで祖母によーくオッツァレタ。学校給食の正しい三角食いはショウにあわない。

セリをいろいろして食っていたら五〇年も前に仙台(セリの産地)出の親方に、塩味の出し汁に酒をきかせたのに浸けた「セリのひたし」を教わったのをその味とともにひょっこり思い出した。記憶の底に沈んでいたが消えてはいなかった。

(我田 大)