ハタイモ(サトイモ)はずうっと作っている。畑の定番だ。しかし長らくあんまり上手にはできなかった。雨の多い年はできがいいなと思ったくらい。寒さに弱くてとっておくのも面倒だから、トレ秋に食う分ぐらいとれればいいやと思っていた。ちょっと負け惜しみ。しかし家のは売ってるのとちょっと味がちがった。(来歴不明)ヌルが少なくて、ややポクポク。ドダレ(土垂。品種名)だというが。形もふつうの俵のようでなく尻つぼみ。味もエビイモの血がまじったようなというか、あまい。うまいのには目がないタチなので、このハタイモを何とかジョーズに作れたらいいなと思った。うまくタネイモを冬越しさせるスブ(すべ、術)も見つけていたし。
“(71)ハタイモ 広報誌2025年2月号掲載” の続きを読む(70)ヤマクラゲ 広報誌2025年1月号掲載
スーパーの棚にヤマクラゲを見つけた。イッサだなあヤマクラゲ。買った。水でもどして炒め煮にした。コリコリしてうまい。中華料理のクラゲやメンマ、ザーサイなんかと同じ食感のなかまだ。年をひろうと、メハマラじゃないがいろいろ弱って、食うモンはヤッコイものがよくなりそうなものだが、私はまだコリコリが好き。
“(70)ヤマクラゲ 広報誌2025年1月号掲載” の続きを読む(69)イネ刈り 広報誌2024年12月号掲載
田っぽをしている。とはいっても三反に足りない小小百姓。機械を持てないのでアラカタ人まかせ。残る、肥やしまき、除草剤まき(ジャンボ剤なので楽のテッペン)、水見、田っぽのめぐらの草刈り何回か、溝掘り、スミガリぐらいがしごと。
今年は稲が「寝て」コンバイン作業がホッペタオシで遅れた。家はゲッパのほうなので十月に入ろうかというときに、やっとバンがまわってきた。
“(69)イネ刈り 広報誌2024年12月号掲載” の続きを読む(68)自分で覚える 広報誌2024年11月号掲載
どういうふうにことば(文字ではない)をおぼえたのかは記憶にない。いわゆる「見よう見まね」ってやつでおぼえたのだろう。子や孫のそこも見ていたはずなのに、「おっ、さべった、さべった」とよろこぶばかりで、当人の中でなにがどうなったのかなんて、イッソわからない。なんだかんだしているうちにみんな、自分でなに不自由なくことばをさべられるようになっている。教えこまれたものではない。それが母語というものだ。
“(68)自分で覚える 広報誌2024年11月号掲載” の続きを読む(67)マンディ 広報誌2024年10月号掲載
今年の夏の暑さと湿気にはまいった。これが「地球温暖化」という抽象的なものの、体にこたえる実体験か。エアコンをほぼ使わない家に住んでるもので、南北の戸(ハキダシ)をあけはなして風を通してなんとかしのぐ。
朝起きると寝汗でべたべた。まずシャワー。すこしすっきり。畑にでる。いろいろ作業して昼に家に入ってまたシャワー。ヒレメシ食ってヒラスミは習慣になっている。一時間ほど。ふたたび外仕事。夕方シャワーしてから店に出動。終わって帰ってきて一杯のんでまたまたシャワー。一日4回だ。風のないときは扇風機をかけて寝る。一二時をすぎるといくぶん涼しくなる。酒の力もあり、しばし眠れる。あつくなって目がさめると扇風機。連続使用は体に悪いというのでタイマーにしているのでこうなる。朝起きるとまたシャワー…このくりかえしだ。地球温暖化め、人類のわがままのツケか。火山が大噴火して空にチリをまき散らして陽をさえぎってくれないかと思いたくもなる。噴火は困るが。
“(67)マンディ 広報誌2024年10月号掲載” の続きを読む(66)出てくるもの 広報誌2024年9月号掲載
ちょっとカザッキビ(風邪気味)でも畑にでる。ハナがでてくる。顔を前にだし指で片一方の鼻の穴を押さえてフンッしてハナをとばす。もうかたっぽうもする。子どものとき大人がしているのを見てマネしておぼえた。テバナ(をかむ)。ハナガミいらずでいい。ノラに限るが。タンがノドにからんでいるときもエッと吐く。ツバキ(唾)もペッ。ノラはどこででも、していいのでいい。
“(66)出てくるもの 広報誌2024年9月号掲載” の続きを読む(65)トーナ(薹菜) 広報誌2024年8月号掲載
春先のトーナは、うまい。ツミナ、アオナともいう。ナッパ、テャ(とは)こういうもんだ、と納得させてくれる味。それだから人々はずっと作り食べつづけてきたと、春がきて食うタッピに思う。
まだ雪があるときにスーパーなどで青いナッパを見ると、キョンナ(去年)の暮れからの「かこった」野菜ばっかりで、新鮮な緑に飢えているモンダスケニ、つい手をだしてしまう。……そして食っちゃ後悔する。まずい。いやみな味。損した。もう買わない。と思っても緑は本能を刺激してまた手を出させてしまう。自分で作ったのはアッケニ・ンーマイガンニ、ナーシテ売ってるガはまずいのか。かんがえるに、とってから時間がたっている。チッソ肥料のくれすぎ。連作で土壌消毒剤の使用、などか。
“(65)トーナ(薹菜) 広報誌2024年8月号掲載” の続きを読む(64)クルミ 広報誌2024年7月号掲載
キョンナ(去年)の秋は拾ったりもらったりでクルミがイッペーきた。もちろんカラに肉がついているやつ。それをコヤシブクロに入れてホンナゲテおき、肉をくさらせる。腐ったら水洗いしてきれいにする。イモグルマですると楽らしいが、ないので一斗缶に入れ、棒の先に横木を十文字につけたのを作り、カンモシて腐ったのを洗い流す。何度かしてきれいになったら天日で乾かす。カラスに注意。乾いたら空米袋に入れてしまっておく。トレ秋はいそがしくて、それ以上かんまっていられない。
“(64)クルミ 広報誌2024年7月号掲載” の続きを読む(63)しょうがビール 広報誌2024年6月号掲載
昔の小学校には図書室があった、今もあるだろうが。本が大量にならんでいた。あたりまえだが。でも初めて見たときにはなんか異様な感じがした。それまで本がたくさん並んでいるのを見たことはなかった。それぞれの本に文字がいっぱいつまっている。それがぎっしりならんでいる。学校のある側面の象徴、と今はいえるが。
“(63)しょうがビール 広報誌2024年6月号掲載” の続きを読む(62)冬葱 広報誌2024年5月号掲載
冬葱はたいがいの家で植えている。買えば安くもない時もある。畑があればタダドーゼンでとれる。作るにソッケ面倒じゃなさそうだ。ジャー、オレも作る、で、はじめたのが四〇年ほど前。秋から冬にとってはつかい、カコッテおいて冬じゅう食っている。
最初の頃は苗を買っていた。六月ごろか、畑にヒラグヮ(平鍬)でミゾを掘って苗をアイサをあけて立てならべ、べトをかける、元肥をしてワラをしく。
そうだ苗のことはネギ苗ともいうが、としょりしょは「キ」ナエというのに気づいたのだった。なんでか。古語辞典をみれば、キは葱の古語。一〇世紀にできた日本最古の漢和辞書「和名抄」に万葉仮名で紀(キ)と読みがあるそうだ。昔、宮中の女房言葉で葱のことを「ひともじ」というのはキと一文字だから……。ひゃー、ココラんしょは千年も昔のことばを今もつかっているんだ。そう気づいたので他にも同じようなのがあるぞと思った。思うと思わないでは大違いだ。山菜とりもあると思って探すほうが見つかる気がする。自分で気づいて調べてわかるのは、ガッコのベンキョーとちがってたのしい。
あとで田っぽの雑草のナギというのを知った。漢字では水葱、和名抄で奈木(ナギ)。平安時代の人は「ナ(菜)のようなネギ」とおもって食っていたのかな、と想像もふくらむ。まあナギは食って見たが、さほどうまくなかった。
植えた冬葱は夏の終わりから3回くらい追肥をしては土寄せをする。最初はハサク(ウネの間)を広くしていなかったので、ベトを寄せるのにオージョー(往生)した。そのヘイコー(閉口)したのにこりて広くした。土寄せは人を見習ってヒラグヮでしていたのだがコッテェ腰がヤメルのでレーキ方式をかんがえた。ハサクを培土器をつけた軽耕耘機で走り、そのよけたべトをレーキでよせる。腰を曲げないのでだいぶ楽。管理機を持たないのでこうなった。土寄せは葱のエリ(襟)を埋めないようにというのもおぼえた。「葱の襟」という命名にナルホド。着物の襟と見たな。
だんだん畑しごとに慣れてくるとキナエを買わないで自分で育ててみたくなった。市販の苗は秋蒔きが多くコーチネーといわれていた。種は雪がケーたら早めに蒔く。いろいろしてみたがなかなかうまくできなかった。畑に蒔き床をつくると雑草との戦いが熾烈。自分みたいなノメシコキは草に負け、買えばいいや、もらえばいいやとなりがちだ。プラグポットにも蒔いてみたが、1・2粒ずつがたいへん。ていねいに面倒みるのも苦手で、うまく育たなかった。こった発泡スチロールの箱に草がオイリないよう買ったべトを入れて蒔いた。角材の角を押しつけて蒔き溝をつくり、ひねり蒔きをすると三角の溝の底に種が一列に並ぶ、間隔はかげんする。ベトをかけ鎮圧し水をくれる。雨よけと乾燥防止に不織布をかける。芽が出たらはぐ。あと様子みて液肥をくれる。モライモンの田植機残りのペーストはたいへんチョーホー(重宝)。混んでいるところをちょっとウルノゲば七月はじめ頃には苗ができる。これでやっと自分の好きな品種を作ってみられるようになった。今は石倉、ほかに下仁田とリーキ(西洋葱)を少々。
冬にふっといイシクラのウワッコの皮(コーチネー)をむき包丁目をナナメ裏表にいれてブツ切り、ゴマ油をしいたフライパンでころころ焼き目をつけて醤油をジャッ、七味パラパラで食った。アフ、トロ、アチチ。バカゲにアメェーなー。ンーメェ。
イッサで葱のシンメンボク(真面目)にイキアッタ気がした、ので書きました。
(我田 大、 「季節料理 大」 主人)