(62)冬葱 広報誌2024年5月号掲載

冬葱はたいがいの家で植えている。買えば安くもない時もある。畑があればタダドーゼンでとれる。作るにソッケ面倒じゃなさそうだ。ジャー、オレも作る、で、はじめたのが四〇年ほど前。秋から冬にとってはつかい、カコッテおいて冬じゅう食っている。

最初の頃は苗を買っていた。六月ごろか、畑にヒラグヮ(平鍬)でミゾを掘って苗をアイサをあけて立てならべ、べトをかける、元肥をしてワラをしく。

そうだ苗のことはネギ苗ともいうが、としょりしょは「キ」ナエというのに気づいたのだった。なんでか。古語辞典をみれば、キは葱の古語。一〇世紀にできた日本最古の漢和辞書「和名抄」に万葉仮名で紀(キ)と読みがあるそうだ。昔、宮中の女房言葉で葱のことを「ひともじ」というのはキと一文字だから……。ひゃー、ココラんしょは千年も昔のことばを今もつかっているんだ。そう気づいたので他にも同じようなのがあるぞと思った。思うと思わないでは大違いだ。山菜とりもあると思って探すほうが見つかる気がする。自分で気づいて調べてわかるのは、ガッコのベンキョーとちがってたのしい。

あとで田っぽの雑草のナギというのを知った。漢字では水葱、和名抄で奈木(ナギ)。平安時代の人は「ナ(菜)のようなネギ」とおもって食っていたのかな、と想像もふくらむ。まあナギは食って見たが、さほどうまくなかった。

植えた冬葱は夏の終わりから3回くらい追肥をしては土寄せをする。最初はハサク(ウネの間)を広くしていなかったので、ベトを寄せるのにオージョー(往生)した。そのヘイコー(閉口)したのにこりて広くした。土寄せは人を見習ってヒラグヮでしていたのだがコッテェ腰がヤメルのでレーキ方式をかんがえた。ハサクを培土器をつけた軽耕耘機で走り、そのよけたべトをレーキでよせる。腰を曲げないのでだいぶ楽。管理機を持たないのでこうなった。土寄せは葱のエリ(襟)を埋めないようにというのもおぼえた。「葱の襟」という命名にナルホド。着物の襟と見たな。

だんだん畑しごとに慣れてくるとキナエを買わないで自分で育ててみたくなった。市販の苗は秋蒔きが多くコーチネーといわれていた。種は雪がケーたら早めに蒔く。いろいろしてみたがなかなかうまくできなかった。畑に蒔き床をつくると雑草との戦いが熾烈。自分みたいなノメシコキは草に負け、買えばいいや、もらえばいいやとなりがちだ。プラグポットにも蒔いてみたが、1・2粒ずつがたいへん。ていねいに面倒みるのも苦手で、うまく育たなかった。こった発泡スチロールの箱に草がオイリないよう買ったべトを入れて蒔いた。角材の角を押しつけて蒔き溝をつくり、ひねり蒔きをすると三角の溝の底に種が一列に並ぶ、間隔はかげんする。ベトをかけ鎮圧し水をくれる。雨よけと乾燥防止に不織布をかける。芽が出たらはぐ。あと様子みて液肥をくれる。モライモンの田植機残りのペーストはたいへんチョーホー(重宝)。混んでいるところをちょっとウルノゲば七月はじめ頃には苗ができる。これでやっと自分の好きな品種を作ってみられるようになった。今は石倉、ほかに下仁田とリーキ(西洋葱)を少々。

冬にふっといイシクラのウワッコの皮(コーチネー)をむき包丁目をナナメ裏表にいれてブツ切り、ゴマ油をしいたフライパンでころころ焼き目をつけて醤油をジャッ、七味パラパラで食った。アフ、トロ、アチチ。バカゲにアメェーなー。ンーメェ。

イッサで葱のシンメンボク(真面目)にイキアッタ気がした、ので書きました。

(我田 大、 「季節料理 大」 主人)