ちょっとカザッキビ(風邪気味)でも畑にでる。ハナがでてくる。顔を前にだし指で片一方の鼻の穴を押さえてフンッしてハナをとばす。もうかたっぽうもする。子どものとき大人がしているのを見てマネしておぼえた。テバナ(をかむ)。ハナガミいらずでいい。ノラに限るが。タンがノドにからんでいるときもエッと吐く。ツバキ(唾)もペッ。ノラはどこででも、していいのでいい。
思いだせば昔の小学生はハナミズをたらしているのが多かった。ハナッタレ。それを(鼻の下の)「二本線」といったような気がする。アオッパナ、ゴトバナはかたいほう。ミズッパナはたれてきてこまる。すすりあげてもまにあわない。ハナガミの持ち合わせがないと服の袖口でぬぐうモンダスケニ、乾くとテカテカ。
ハナミズが中で乾くとハナクソ。それをほじって食ってみたことのない人はいるのだろうか。冬のここらのハナクソは白っぽかったが、上京するとまっ黒。食う気にもなれない。当時は大気汚染がすごく「光化学スモッグ」もあった。川の水はどぶ泥のようだった。
出てくるものの続き。ノラで尿意を催すと、タチションベン。道端でしている男はふつうだった。女の人は物陰でしゃがむのがふつうなのに、バサの中には道端でしゃがまないで着物腰巻をまくってケツをあげ、足にかからないようにとばしている人もいた。珍しい景色なのでおぼえている。冬のイキミチの脇にはところどころタチションベンの黄色いあとがあった。純白の雪をけが(穢)している感じ。タチションしたら白い雪をかけておけといわれたが、雪面の乱れやちっと黄色がのぞいたりしてミッタクナイ(醜)ものだった。まあ友だちとならんでツレション。ギザギザの穴をくらべてよろこんだこともあった。
アッパは外ではふつうしなかった。山の畑に行ったときしたくらい。ちょっと足で穴を掘ってした。フーキの葉っぱで拭いたがそのザラザラ感はまだおぼえている。家ではいわゆるボットン便所、アッパンチョ。ションベンチョと槽を別けたのは肥料にする都合だったらしい。たまったのを桶に汲むのはタメクミ。テンビンボーで振り分けに(というのか)二つをかついだ。五〇年ほど前経験した。ハネがかからぬようバランスとって歩くのはなかなかむずかしかった。においのキマリ文句「田舎の香水」。
便器をまたいでしゃがんでいきむ。落ちるとオツリがくることもたまにあった。夏のアンモニア臭やうごめくウジの群れもすごかった。でもしないわけにいかない、動物だもの、食えば出る。ケツ拭くのはモンジャクッタ・シンブンガミ~クロチリ~シロチリと「進化」していった。水洗便所は小学6年新潟への修学旅行で初体験。洋式の水が便器からあふれ出しそうで、おっかなかった。自宅がそうなるのに三〇年ほどかかった。
アッパは古語ババと同じだろう。標準語でもババ抜き、ばばっちい、ネコババなど現存する。ババッカジカ、ババカレイも見た目がそれ。(ずっと婆と思っていた)

慣れないうちは酒を飲みすぎてはよく吐いた。もどした。漢語で嘔吐。ココラ語ではゲッケ。出てくるときの感覚「ゲェッ」(標準語では「オエッ」か)をうつした語だろう。まずスッケェー水がきて、次にのどが太いパイプになったように奔流がくる。ゲェッ。自分でコントロールできない。胃がうらがえったような。……出てしまうと自分にかえる。涙が出たりもする。第2波が来ることもある。……出たドロドロがゲッケだ。
あまりきれいでないハナシにつきあってもらい、モーシャケなかった、ナイ。
(我田 大、 「季節料理 大」 主人)
