今年の夏の暑さと湿気にはまいった。これが「地球温暖化」という抽象的なものの、体にこたえる実体験か。エアコンをほぼ使わない家に住んでるもので、南北の戸(ハキダシ)をあけはなして風を通してなんとかしのぐ。
朝起きると寝汗でべたべた。まずシャワー。すこしすっきり。畑にでる。いろいろ作業して昼に家に入ってまたシャワー。ヒレメシ食ってヒラスミは習慣になっている。一時間ほど。ふたたび外仕事。夕方シャワーしてから店に出動。終わって帰ってきて一杯のんでまたまたシャワー。一日4回だ。風のないときは扇風機をかけて寝る。一二時をすぎるといくぶん涼しくなる。酒の力もあり、しばし眠れる。あつくなって目がさめると扇風機。連続使用は体に悪いというのでタイマーにしているのでこうなる。朝起きるとまたシャワー…このくりかえしだ。地球温暖化め、人類のわがままのツケか。火山が大噴火して空にチリをまき散らして陽をさえぎってくれないかと思いたくもなる。噴火は困るが。
シャワー。していると昔行ったバリ島を思い出す。べたべたあついのに対処するのはほぼ水浴びのみだった。それをマンディというのだとおそわった。エアコンのない安い民宿みたいなところに泊まった。元気のないぬるい水のシャワーだった。それでも少しはさっぱりした。そこだけ豪華な大理石の床(冷たくていい)のテラスの竹の寝椅子にすわってココヤシの葉が微風にそよぐのを見ながらうとうとするのは気持よかった。町を出て村を歩いていると人々はいたるところの水路でマンディをしていた。水浴、ミズアビ。

そういえば子どもの頃、夏休みの午後は雨でなければマインチ川に行った。それを「ミズアビにいく」といった。まあ川遊び、魚をついたり泳いだり。とったカジカはハリガネや柳の枝をエラ=口に通してぶらさげて帰った。テンプラになったり、ニワトリのえさになったり。
また思い出した。昭和二〇年代、ムラにまだ水道はなかった。家々は山川の水を生活用水に引いていた。台所のほかにタナヤ(タナ、タナンボとも)という小さな池にも。ヒラガリ(昼上がり)したツァマ、トー、トト、オトト、オトッツァマとか呼ばれた農家の主人は、ここで汗を流してからヒレメシになった。ヤマガサをとり、鉢巻きか首のテノゴ(手拭)、ヤマギモン、サンパク、フンドシ(このへん実物がわからぬ人はトショリにきけ)を脱いでハダカンボになり石の階段(作ってあった)をおりて水で体を洗った。ついでに脱いだものすべてをザブザブと洗い、絞り、それを持って軒端か外の物干竿に干してから家にはいった。天気がよければうすい木綿の生地はヒラスミアケには乾いた。それを着てまた午後の農作業をした。見たミズアビの映像は七〇年たった今でも鮮明だ。家にはいってからマルハダカでマンマ食ったりヒラスミしたりしたのかは見ていないのでわからない。はきものはワラジョーリ(草履。童謡の、歩きはじめたミーちゃんの赤い鼻緒の「ジョジョ」は草履のことだとはるか後になってから知った)だったか、地下足袋だったかは覚えていない。
三〇年ほど前のバリ島と七〇年前のココラ。おなじようなミズアビ、マンディだった。湿気と暑さの夏の昼下がり、大木の木陰や風の通るテラスや開け放した室内でヒラスミの愉楽。しばしのジョンノビ、ジョンノビ。逃げるが勝。エアコンとはちがう境地だ。カネもかからないし。
(我田 大、「季節料理 大」主人)
