(68)自分で覚える 広報誌2024年11月号掲載

どういうふうにことば(文字ではない)をおぼえたのかは記憶にない。いわゆる「見よう見まね」ってやつでおぼえたのだろう。子や孫のそこも見ていたはずなのに、「おっ、さべった、さべった」とよろこぶばかりで、当人の中でなにがどうなったのかなんて、イッソわからない。なんだかんだしているうちにみんな、自分でなに不自由なくことばをさべられるようになっている。教えこまれたものではない。それが母語というものだ。

いま外国語の代表でエライと思われている英語を身につけようと四苦八苦している人は多い。子どもにも教えこむのを是としている。母語はかってにおぼえたのにこのザマはどういうこと。老人(私のこと)は昔学校で母語である方言は悪い言葉だからつかわないようにと教育されたのを思い出す。学校では標準語をつかえと。(歌謡曲もマンガも×だった)中学くらいになると、都会に出たときバカにされないようにとか、恥ずかしくないようにとか、御都合主義的な理由がついた。とりかえられない身についたことば(母)を否定する学校とはなにか。そんなリクツはいえなかったが、否定された感覚は今も忘れない。ひるがえって今の世の中、世間の人々は自ら、学校で教えこまれたように標準語でスジミチたててサベルことがいいことで、すぐれていると思いこんでいるようだ。教えこまれたもののほうが、自分で身につけたものよりいいものだと。

文章を書くようになって、「方」言ということばは嫌いだからココラ語ということにして、それをちりばめて綴るようになった。読みにくいとかいわれるが、少しは身にしっくりするような気がする。手さぐりで書いているうちに文体ができてきた。

何も知らずに板前の世界に飛びこみ、修業をしたのも、今にして思えば学校的な「これが正しい、おぼえろ!」でない、「教えない、見よう見まね、かってにおぼえろ」の世界にあこがれがあったのかもしれない。たとえば、数をコナすと包丁を手のように動かすことができる。リクツではないから説明できない。

帰郷し店を開き、セッツェー畑の野菜のうまさにたまげ、自分でも畑をするようになった。また見よう見まねで始めた。それから四○年、としょりにきいたり、本も見たりはしたが、畑にしがみついてああでもないこうでもないとやっているうちに、なんとかうまくできるようになった。結果オーライ。(もちろん失敗もする)道具もうまく使えるようになった。体でわかった。テストで○もらったようにわかったのではない。マニュアル的にわかったのでもない。

◎うまいが一番◎露地栽培◎旬につくる◎伝統野菜は味がよいのが多い◎農薬、化学肥料はひかえる◎何といってもベトが大事。有機質を毎年投入しているとベトがだんだんよくなって「畑のベト」になる。こうなれば何を作ってもうまくできる(ことが多い)。というくらいを目安にやっている。

面の写真
習わずにつくられた面(小林量平・作)

近ごろ読んだ原ひろ子(1934‐2019)さんの「子どもの文化人類学」(ちくま学芸文庫)が思いがけないプレゼントだった。六〇年ほど前にカナダ極北のヘヤーインディアンのムラに住みこんだ記録(が中心)。そこでの子どもの生活がいきいきと描かれている。紹介したいがスペースがなくなった。「自分で観察し、やってみて、自分で修正することによって「〇〇を覚える」というのがヘヤー方式。自分で覚える。これにたいし「教えられること」に忙しすぎる現代社会。原著は1979年刊だがイッソ古くない。文章も平易。興味あるムキはぜひ御一読を。

(我田 大、六日町伊勢町、「季節料理 大」、主人)