(69)イネ刈り 広報誌2024年12月号掲載

田っぽをしている。とはいっても三反に足りない小小百姓。機械を持てないのでアラカタ人まかせ。残る、肥やしまき、除草剤まき(ジャンボ剤なので楽のテッペン)、水見、田っぽのめぐらの草刈り何回か、溝掘り、スミガリぐらいがしごと。

今年は稲が「寝て」コンバイン作業がホッペタオシで遅れた。家はゲッパのほうなので十月に入ろうかというときに、やっとバンがまわってきた。

ちょうどテンキになって稲刈り日和。することもなくコンバインが刈るのを眺めていた。ゴミやホコリ、音を盛大に出しながら驀進するコンバイン。……むかし、小学生の頃(学校にイネカリ休みがあった)手伝いをしたのを思い出した。ホンケに手伝いにいった。大人がカマで刈って、ワラでマルケタのを12束ずつ集めて積んだ。大人がそれをツナギか縄でしばった。イッソクといった。それを縄でソッテ(背負って)サクバ道まで出した。縄は大人用より短いニナワだったかもしれない。田っぽのクロに縄をのびたU字形におき、そこにイッソクか2ソクを置き、ケッツイテ、縄のUに頭を入れ、前の縄を首の縄に通しひっぱって稲と背中を固定し、ヨッコラショと立ち上がる。(わからない人は老人に実演してもらって下さい)肩にくいこむ荷の重さ。少しでも痛みをやわらげようとソデナシを着ていたかもしれない。二本の縄は常にひっぱっていなければならない。よたよたとヤンダ。荷を下ろした時の解放感は忘れない。オトナが山のようにソウのを見てすごいなーと思った。そこからリヤカで家の近くのハッテバまで運んだ。

稲の束をリヤカに積みこむのもキマリがあった。バランスをとらないとだめ。前が重たいメェーニ(前荷)その逆のアトニ(後荷)があった。チット・メェーニくらいがドライブしやすいのだった。リヤカのカジ棒の中には、もちろん子どもは、はいれず、前につけた縄をひっぱるか後ろに回って押すのがしごとだった。帰りのカラのリヤカは子どもでもできた。ひっぱったり乗ったりするのはたのしかった。リヤカの荷台の下には手頃なフカグラ(杉丸太)が固定され後ろにつきでていた。カジボウを上にあげてそれを地面にこすりつけるのがブレーキだった。

刈った稲の束をくるくるまわしてワラでしばるのは魔法のように見えた。一〇段ほどもあるハッテの高いところまで正確に投げ上げるのも。

……コンバインにもどる。空を見上げるとドンボが群れとんでいる。赤トンボだ。アキアカネかナツアカネか知らない。となりの刈り終わった田ッポの上にはあんまりいない。ヤツラ、コンバインが好きなのか。もしや排気ガスのにおい(?)家の田は除草剤一回の減農薬だから(?)。でもすぐ思った、ちがうね。エサエサ。

空の写真
独往。 撮影:mica

コンバインが稲をイサブリながら進むモンダスケニ、そこにとまっていた蚊だのなんだのがたまげて飛びだす、それを見てゴッツォゴッツォと集まってきた、のではないか。目をこらしても蚊(?)は見えないし、ドンボが食っているかもよくわからない。でもそうだと、とりあえず決めた。上下左右、前進停止、自由に動くドンボの飛行を見ていると、最近の進歩した小さいドローンみたいだ。いや科学の粋を集めたドローンはまだまだドンボに及ばない。何億年(?)の進化によって、蚊を食ったエネルギーで筋肉を動かし、薄い羽と複眼と脳髄であんなことができる。それにしてもこの大量のアカトンボはどこで生まれ育ち、やってきたのか。山のほうだというが。

ドンボついでにオコドンボ(オニヤンマ)のハナシでもと思ったが紙数が尽きた。

(我田 大、六日町伊勢町、「季節料理 大」、主人)