(81)イモサラ 広報誌2025年12月号掲載

ポテトサラダ通称ポテサラは昔はイモサラといった。洋風のつけあわせの定番。あまり嫌いな人はいないだろう。

和食の修業をして四五年前に店を開いた頃、それはメニューにのせなかった。「板前」が作って出す料理と思っていなかった。(エラソー)しかし野菜作りを始めていろいろを作るようになると溢れる在庫をなんとかしなくちゃ、となった。メニューも野菜料理を多くした。作った野菜が売ってるのとちがってうまいのにたまげたのもある。というわけで、いつしかイモサラ・ポテサラはメニューの常連になった。それを全部自分の野菜でつくる。ジャガイモはダンシャク、メークイン、キタカムイを作っている。七月にとったのは年を越して芽がはじまったのがうまい甘いのに気づいた。買ってるときは気づきもしなかった。まあポテサラは年中作るからそんなこといってられないが。洗ってまるごと圧力鍋で水少々で加熱。シューッといってから15分ほど。その間に具の用意。

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(80)オクラ 広報誌2025年11月号掲載

オクラはずっと何十年もつくっている。今は丸い種類。熱帯アフリカ原産というので、ベトがあったまった五月末ころタネをまく。ジカマキ。まく前にタネを水につけなくても、まいた後に水をくれておけばけっこう芽は出てくる。自分で種をとってるので値段をかんがえずに多くまけるのだ。いっぱい芽が出たらウルノゲばいいと。はじめは本などみて株間40センチほどにしていたが、今はスジマキして適当にウルノイで20センチくらい。芽が伸びてきたらワラ、枯葉、草などでマルチする。ビニールはあんまり好きでない。しかし出た芽はなかなかでっこくならない。今年の七月はいっそ雨が降らない砂漠状態で伸びるどころじゃない、生きてるのが精一杯のようだった。

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(79) かんがえない料理 広報誌2025年10月号掲載

店をやめてヒャクショーが主なしごとになった。店の分がいらなくなったので、野菜は自家消費プラスアルファでソッケニいらない。しかし勢いというものがあって、すぐには変えられない。量はともかくシナカズはヤタラに作っている。

夜がヒマになったので夕食の調理を命じられた。とれた多量の野菜をなんとかするのがしごとになった。今の世の人は、いつものメニューあるいは外食の料理などから選んで家の食事を作っているかと思うが(デキアイのソーザイもある)それとはまったくはんたいの状態だ。あるものでなんとかする。いや素材が押しよせて、何とかシレと脅迫する。

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(78)セリ 広報誌2025年9月号掲載

家は3mほどの崖の上にたっている。そういう崖をここらでハバという。その下をタナヤ(池)にしている。まわりは石垣、底は泥。冬は湧いてる清水をためてツキオトシの大屋根の雪を消す。以前はコイなどを飼っていたのだが、水が冷たすぎるのと、イタチやサギの害でやめた。思いついて、遊んでいる夏にクレソンを植えることにした。

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(77)本マス 広報誌2025年8月号掲載

4月末に本マス(サクラマス)を買った。青森産。これで燻製をつくる。冷燻で好みの木はナラ。作りはじめて40年以上たつが、食うタッピゴメに脳髄はよろこびでみたされる、すっごくうまい。同じく、年イッペンのヤマヤサイの味覚にも近い。また1年を生き延びたと体に実感させる味。

本マスは塩焼きでもうまい。ほどよく脂ののったそれは繊細微妙さでサケを越える。ちょうど出てくるキノメにモザイてまぶして食うとたまらない。キノメに生卵もいいが、甲乙つけがたいと思う。

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(76)不思議 広報誌2025年7月号掲載

「ザイゴー」の子どもはあまり外の世界に行かなかった。せいぜい学区内、おもに自分のムラ(部落といった)のなかを動いていた。昭和30年代前半くらいまでのことを思っている。

わずかに「マチ」の夏祭りに行って、近郷近在から出てきた人々がうじゃうじゃいるなかで「マツリてやコーイモンダ」を体験した。イマ風にいえば非日常。学校も半日でアガリになって、一里(約4㎞)ほどをヤンデったり、バスに乗ったりして。わずかな小づかいでナンカを買ったり食ったりした。屋台のもののほか、誰かにきいてパン屋さんで食パンにイチゴジャムをぬったのを一枚買って食った。とんでもなくうまかった。おぼえて毎年一回食った。苺のほとんど入っていないそれがイチゴジャムだとずっと思っていた。(今はじぶんちの宝交イチゴと砂糖だけのジャムを作り食っている)。

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(75)むかしのうち 広報誌2025年6月号掲載

ゴボージメの写真

昔の家の間取りを思い出している。玄関はトボーといった。戸を境に外トボーと内トボーがあった。土間であったが後にコンクリをブッタ。内トボーに続いてイロリのある板の間、その奥は台所、勝手場といったか。イロリのとこから一段上がって茶の間、天井は張ってなかった。茶の間にもイロリが切ってあったが、ふだんは使わないでふたをしていた。ナンカのときに炭をいれてつかった。火は燃やさなかった。ススケルのを嫌ったか。神棚もあった。その奥がジャシキ(座敷)、天井あり。そのとなりがオクンデ。茶の間から横に入るとナカマ。寝間だった。

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(74)ホンボラノクトイ 広報誌2025年5月号掲載

タキオトシ(オキ)の写真

冬は24時間薪ストーブを燃やしている。寝る前には太くていいコロ(薪)を入れておく。ナラ、ブナなど乾いても持ち重りするの。燃えつきてもオキが長く残る。

朝方ションベンシに起きたらストーブにコロをつぎにいく。もう炎やオキの赤い色は見えない。5・6時間はたっている。でもほのかにあたたかい。そしたらホンボラノクトイということばがうかんできた。そうだそういうんだった。

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(73)イノシシでポトフ 広報誌2025年4月号掲載

イノシシのポトフの写真

冬にイノシシの肉をもらった。スジが多いのでポトフにすることにした。
ポトフはフランス語で火の上の鍋といった意味だそうだ。
ココラに私の愛する「ミソゴタ」がある。季節の野菜やら山菜やら魚やら、あるものを入れミソで味をつけたゴッタ煮。一見ミッタクナイが食うとうまい。ポトフはそのシンルイのようなものだとヒャクショー=板前は直感した。ニホンのレストランや料理研究家が教えるそれとはちがう、もとはヒャクショーのザイゴー料理だと。

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(72)カンブツ 広報誌2025年3月号掲載

みのぼし大根、ナス、カブ、ズイキキ、ヤマクラゲ、硬い干し柿の写真

どういうわけだかカンブツをいっぱい作るハメになっている。
春のゼンメェー。夏、ユーゴーでカンピョー。秋、ヤツガシラの茎でズイキ。ハッチンで干し柿。コーコーダイコ(乾物ではないが)。ミノボシ(割り干し大根)。冬にサツマイモで干し芋。アワモチでカタモチ。去年はこれら定番にくわえてヤマクラゲ、さらにナス、カブまでしてみた。

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